実力も運のうち:STEM女子高校生奨学金がすごい!

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STEM女子高校生奨学金ってなに?

STEM(理系)女子高校生奨学金」ってご存知ですか?

抽選で決まる理系女子のための奨学金がスタート。メルカリ共同創業者・山田進太郎さんと富島寛さんが再びタッグを組む理由 | DRIVE - ツクルゼ、ミライ!行動系ウェブマガジン
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こちら、理系分野に興味のある中3女子向けの奨学金制度で、なんと抽選で決まるらしいんです!

「運も実力のうち」ってよく聞くけど、「実力も運のうち」ってどういうことだろ…
って思って、よくよく読んでみたら、こんなことが書いてありました。

「運良く恵まれた環境に生まれたエリートが、その成功を自分の能力と努力によるものだと考え、成功しなかった人を自己責任だと切り捨てることへ警鐘」

DRiVE (https://drive.media/posts/30986?fbclid=IwAR0FBTMajst34PFyHsdFXigdv_TJgM6DCFJIwKhNMYiaGyh0UCqmx1TmBww

正直これ、めちゃめちゃ納得!

どう納得なのか、少し分解して自分なりに解釈してみますね。

実力も運のうち

生まれてくる家庭は選べない

貧しい家庭に生まれた子どもも、裕福な家庭に生まれた子どもも、

同じように「入試」という機会は与えられるけど、実際、親の年収と子どもの学力には相関関係があるらしい。

実際、
2018年の調査では、東大生は約60%が世帯年収950万円以上という結果が出ているようです。

「機会の平等」という言葉があるけど、結局、そこまで辿り着くための機会は平等ではないような気がします。

自分の場合は、特別裕福ではないにしても、塾に行かせてもらえる家庭環境だったからこそ、国立大学にいけたと思っている。(補欠合格でギリギリではあったけども。)

塾にいくチャンスも無い家庭もあるし、家事や弟妹の世話で家庭学習をする時間のない子どももいる。

機会の平等、結果の不平等

「機会の平等、結果の不平等」
「結果の平等、機会の不平等」
って言葉があるじゃないですか?

例えば、医学部の合格枠を男女で半々にすれば、受かる学生は男女半々になるけど、受ける人が多い男性の機会が損なわれ、受かりにくくなる。
(結果の平等、機会の不平等)

逆に、男女関係なく受験させることで、結果は受ける人の多い男性が多く合格し、女性の医学部生は少なくなる。
(機会の平等、結果の不平等)

「女性は理系に興味を持ちにくいから」と言わせてしまえばそれまでなんだけど、それは先天的な脳の仕組みのせいというより、後天的なものらしいのです。
環境とかメディアの情報などがそうさせているという研究が有力なんだとか。

受験の仕組みは、基本的に「機会の平等、結果の不平等」だと思うんだけど、これは男女でなくても、家庭の収入にも言えることだと思うんです。

今の自分があるのは、たまたま条件が揃っていたから

努力できる条件

「この家族を選んで生まれてきたんじゃない」という言葉があるように、子どもの頃は特に、偶然の重なりで決まっていると思いません?

何かに興味を持つにも、偶然の出会いがきっかけになっているはずだし、友達関係も自分で選んだというより家が近かったり、同じスポーツをやっていたり、同じクラスだったり、一緒にいて居心地がいい人をなんとなく選んでいたとしても、その出会い自体は偶然だったり。

努力できるのだって、

  • たまたま努力できる環境に生まれて、
  • たまたま努力できる性格が形成されて、
  • たまたま努力できる目標が持てた

からじゃないだろうか?

ちなみにボクは、苦手なことを努力で解決することがとっても苦手です。(キッパリ!)

集中力がもたない…だから、塾で強制されななかったら多分受験はうまくいってなかったと思います。
小学校低学年の物心ついた時から、苦手なことや興味のないことを頑張ろうとしても集中力が全く続かないのです。

そんなん、「努力できない人の言い訳だ」っていう人もいるかもしれないけど、本当にそうでしょうか?

もし日本に生まれてなかったら

極端なことを言えば義務教育をこんなにしっかり受けられて、掛け算九九が当たり前のように言えるのも日本に生まれた偶然のおかげです。

戦争地域、貧困地域に生まれていたら…全然違う人生が待っていたはず…。

「いや、極端すぎるやろ。笑」 

ってツッコミを入れたくなる人もいると思います。

しかし、バックパッカーとして30カ国あまりを旅して、5年余りを国際協力の世界や、途上国の教育現場で過ごしてきた自分としては、やっぱり他人事ではないんです。

自分が協力する立場でここに立っているのは、たまたま日本に生まれたからなんだなって。

って考えると、こんな偶然の積み重ねの人生で、「機会は平等に与えられているんだから、成功しなかったのは努力不足の自己責任だ」と言うのは、「努力ができる人」の主張な気がしてならないんですよね。

ONEPIECEの格差社会から学ぶ

ボクの 大好きなONEPIECEで、ルフィやエース、サボの育ったゴア王国で、貴族の子どもとお父さんがこんな会話をしていました。

「ねえお父様、ゴミの山の人たちがなんで人間じゃないの?なぜ燃やされてしまうの?」
「こういうことを自業自得というんだよ。彼らが貴族に生まれてこなかったのが悪いんじゃないか?」
(※一部表現を変えてあります。)

ONEPIECEコミックス(集英社)より
ONEPIECEコミックス(集英社)より

運で掴めるチャンス

結局、生まれてくる場所家庭も、形成される性格特性も、見た目性別も、自分では選べません。

そして、それで悩んだり、苦しんだりすることもあると思います。

「運命なんだ」と言われても、やっぱり納得できない…。

日本では、頭のいい人や、お金を稼ぐ力を掴んだ人が、その挽回のチャンスを得られる時代になってきたと思います。

その理由は、学費免除や奨学金、努力がものをいう入試の仕組み、インターネットで学べる環境が整ってきたことなど色々です。

でも、それでチャンスを得られない「努力」の競争にすら立てない人もいることを忘れてはいけないと思います。

そんな人を「運が悪かった」で終わらせないためにも、こういう「運で掴めるチャンス」があってもいいんじゃないかと思いました。

何が言いたいのかというと、「運も実力のうち」だし、「実力も運のうち」

今の自分があるのは偶然であることに感謝をして、
誰もが平等にチャンスを掴めるような社会になればいいなと思いました。

エリート育てたいなら優秀な人材を選んだ方がいいけど、そうでないならこれってとっても素敵な奨学金制度だなと思った。これで奨学金を得た人が、どのような人生を歩んでいくのか期待です!

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